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今日、近所の友人にブログしてるのがみつかった。何々?kaiちゃんブログしてんの?見てやろ。「時々戸籍が気にかかるかい?」やて、「気にかからへんってっ!」と言われちまいました。ウゥ~気にかかるようにがんばらなければ~。 と、言いつつ、今日の報道。1986年生まれの、たまたま犯罪をおかしてしまった人が、戸籍がなかったとか。「なんちゅうことやねん。義務教育もなんもかんもいっさい受けずやて」って話題になったから「それはー、住民票がなかったからじゃん。戸籍なんか関係ないで~。戸籍がなくても住民票があれば、学校も、選挙権も、運転免許書も問題ないんやから」「あ、そうなんやー、住民票がないのが問題なんやって」「そやし、パスポートだけがあと、取れなくて、ずっと、パスポートパスポートってゆってるんやん」「へ~~~」と、あっとゆうまに納得してくれるのが、近所のよしみだ。「でも、結婚できひんわな~」って言うから「結婚?届けて成立なんだったら別にできるんちゃう?」(ほんとは、事実婚でいいじゃんと思いつつ) すると、別のぼけたおっちゃんが、「ほな、戸籍なかったら犯罪おかしたときどうなるんやろな~」って言い出すから、「だから~、今その話してるんやん!」「それで、そのひと、戸籍つくったんやろ~~」「いやいや、作らされたんやで~」と、喧々囂々。けっこう気にかかってるじゃん!と言いたい。 映画『誰も知らない』の話も少しした。悲しいような、自由なような、社会の外と見えることが、実は社会そのものの反映だったりとか。涙なくして見れない映画でした。(どちらかといえば、別の脈絡。たとえば、少年が母を見つめる目線の強さとか。) 本当に、いろんな事情で戸籍(の記載が)ないということは、あるものなのです。 あさって、2月1日に外務省が全国旅券事務主幹課長会議というのを開くらしいと、耳に入ってきた。戸籍がないという状況を現実に生きていかざるを得ない人がいる。ということをしっかり認識して、パスポートの発給について、柔軟に対処してもらいたいものです。2行で書き終えてしまったけどそればっかり、言い続けた何年もの日々。 また、お知らせしますね。 ▲
by fuyukikai
| 2007-01-31 23:44
あかん、笑いすぎたのと、その余韻のノリをさかなに飲みすぎたので、今も頭がボーっとしています。ドテカボ一座「ミューズカル『女の解放』1975」・・・32年前の映像にあそこまでウケてしまうというのも、不思議な気がします。多分、たまたま、ひょんなきっかけから、リブの資料整理に関わっているので、何だか時間が昔なんだけど今だったりしているせいもあるのかもしれません。おお~あれが噂のマドンナかー。かわいい~~、おおおーあれがタケなのかーーー。田中美津さんすでに、円熟のエンターテイナー!モナリザスプレー事件の米津さん。喧騒の舞台ながら、冷静さが漂ってるぅ~。などなど同時期を生きた滝川マリの解説付きで、堪能してしまいました。究極のブラックコント「コインロッカー」には、笑っていいのか悪いのか?と頭の片隅に理性がかすめながらそれが刺激になって、ますますさらに、爆笑してしまうという究極のブラック。だいたいが、全部すごすぎました。 そんなふうに、「かつて」が「今」に出会うというのは、とてもいいことだと思います。いろんな位相の出会い方が、制限されずに自由に、出会った人の何かを変えたり、そのことがまた集まったりすることで、風穴が開いて、息がしやすくなって、息がしやすい世の中のほうが、ずっといいじゃんと、位相を違えながらも共感するのは、いいことだと、とりあえず、今日のところの感想は、この程度にしておきます。 ▲
by fuyukikai
| 2007-01-30 00:44
「女たちの共同体-七0年代ウーマンリブを再読する」西村光子著を読み終えました。よかったのは、米津知子さんのインタビューがたくさん紹介されていて、彼女の言葉として当時を回想している気持ちを知ることができたということです。だいぶん前に、私の彼女と同世代の友人が、連絡を取り合って、りぶの総括をテーマにしていたことがありました。一度じっくりと話してみたいヒトです。でも、著者本人は、リブの言葉を遠くから受け取って、勇気なり元気をもらい、気にかかり、そして自ら共同保育の実践をしつつ、自身は公務員を勤め上げ、退職後江原由美子の研究室で社会学を学び、この本を発行するに至るというヒトです。最後のまとめはかじりたての社会学の視点で、しゃにむにりぶを「コレクティブ」と同義とおいて、「その無残な結末に」暗澹たる気持ちになってしまった。しかもそれが、江原の影響からかりぶが「前近代」に犯されていたことが理由だと結論づけるというのは、あまりといえば、あまりに浅薄。「共同体」の終結を抱えながら、「個と共同体」の問題を対象化し、ずっとずっと、80年代も90年代も今も生きている運動(りぶ)があることを私は知っているし、そのことに呼応して、私は私をりぶと呼ぶことに躊躇はないからです。おそらく大文字のAと呼べるリブはないのではないかと私は思っている。小文字のaがそれぞれに数え切れずに存在し、さらにりぶは小文字aの集合体ですらないと思っています。それぞれが、それぞれの場所でっていうことで、チラシ『女(あなた)から、女(わたし)から、ここから、はじまる女たちのストーリー。「スペースここから」女のための女のビル、誕生』が昨日とどきました。そんなふうに、世代混在的に続く何かを続けていきたいです。 そいで、明日はドーンセンターに行ってきます。CR研究会というのが主催で「講演会&ビデオ-女の人生本音でいこう“リブの妹たちへリブの娘たちへ」というイベントがあるのです。田中美津さんを見るのは初めてです。何かを感じるにしても、感じないにしてもその後語り合える誰かがいないと心細いので、滝川マリ、れんげちゃんを無理やり誘って一緒に行ってきまーす!♪ ▲
by fuyukikai
| 2007-01-27 23:42
戸籍の気になるところ、最初の日にいっぱいありすぎると書きましたが、それでも自分なりになんなのか?と、考えていました。書面上の様々な差別記載?綿々と親族をたどっていけるという追跡機能? 戸籍筆頭者と名前を変えつつ、戸主を残した家制度的イデオロギー?そう、専門家(佐藤文明さんのような)によると戸籍上の差別記載は何百にも及ぶらしい。でも、私が一番気になるのは、やはり、戸籍という制度に内包している考え方、及びその成立過程(戦時体制づくり)と特にその生き残り方(戦後処理と戦後民主主義)なんだな、と思い至りました。 ところで、今日、休憩中にNHKを見ていたら、長瀬法相が画面でしゃべっていました。民法772条現実に即して変えていくことも検討。そのための実態調査もするそうな。もちろん、このナンセンスな法律は変えられるべき。でも、変えられる直接のきっかけ、あるいは、法務省としての欲求としても、離婚した女から生まれた子どもがそんなにも多く実態(本当の父登録)と違っていて、なおかつ、もちろん、戸籍に搭載されないとなると、それは問題だ!わかるようんうん。という姿勢なのだと思われる。なんといっても井戸さんは、生まれたばかりの子どもに戸籍がないということがいかに不安で不幸なことかとTVでも涙ぐんでいたしな~。もう一歩進んで、そのような規定を反映している戸籍そのものの問題に心をはせてほしいと思うけれど、彼女の、戸籍がないと不幸でかわいそうでなんとか戸籍を作成させてあげなくてはという熱意は、ハンパなものではないと思われる。もちろん、それぞれのスタンスがあってよいのだ。それに、彼女が出生届の申請に行ったときの兵庫の対応はひどかったし、窓口に来庁した人の心を傷つけても平気という対応は本当に問題だと思いました。 ▲
by fuyukikai
| 2007-01-27 00:39
最近、戸籍という単語が、新聞上、TVでもひんぱんに飛び交ってる。この事態ははっきり言ってかつてない、驚くべきことだ!!!私自身も「戸籍のない子どもにパスポートを!LEMON+C」っていうのを立ち上げていて、もう12年くらいたらたらと、あるときはごりごりと、裁判支援とかなんとかも含めて「イヤやな、戸籍…。できれば、いらないやん。」って態度で活動してきました。未婚の母子家庭で、子どもに戸籍がないばかりに児童扶養手当が8年も出なかったけど、最後には、実態に見合った福祉を!っていう願いがかなって、手当ての受給がかなったりしました。で、そのあと「戸籍はイラン、パスポートはアルゼンチン」という意味不明の報告集会をして、パスポートの取得を!と動いてきました。でも、地味でした。もちろん、宣伝が足りなかったんです。当事者ぬきにあんまりゴリゴリするよりも、息長く、暮らしと共にモンダイを抱えてるっていうのでもいいじゃないの。いざっていうときまでは…。っていうスタンスだったのです。それが今、状況は刻々と動いているようです。マスコミが取り上げるのは、民法772条の嫡出推定が今から100年以上も前の法律で、そのことにまずビックリ!!100年前の制度によって、戸籍がないなどという悲惨な状況が生み出されるなんて!知らんかった。まずいのではないか。離婚も増えているし、未熟児で生まれる赤ん坊も昔よりずっと増えているはず。っていうものです。それはそれでも、間違いではないのですが、あまりにも戸籍がモンダイで、戸籍がないと無権利状態に陥ると報道されると、オヤ?待てよ。という気持ちになります。東京の子どもさんの社会保険、就学その他の問題は、住民登録の問題であって、戸籍は法務省から地方自治体が法定受託事務で預かっているものだとしても、住民登録の仕事は、各自治体の責任においておこなわれる事柄なので、まずは、住民票がつくられるべきだし、その手前でも、命にかかわる問題として、医療保険への加入は即刻なされなければならないでしょう。関西方面での、私の知る限りでの対応では、健康保険まで保留にし続けているなどというケースは1件も聞いたことがありません。 実際、戸籍がさまざまな恩恵をさずけるありがたいものなのではなくて、戸籍によってさまざまに苦労させられている現実として、子どもたち、女たち、さまざまなマイノリティグループがあるのだと思いますけど。 ところで、モーニングショー、ワイドショー的に「スーパーモーニング」「とくダネ!」「ミヤネ屋」と取り上げられましたけど(個人的には関西のミヤネ屋が一番気に入っています)、今日のNHKは、9時代のニュースとあって、映像もブランコの余韻、影などなど工夫が見られました。 ▲
by fuyukikai
| 2007-01-25 23:58
戸籍の何がそんなに問題で、あんたが悪者あつかいしているのか、よくわからんのよ。だから、そういうことを、ホームページにのせたらどうなの?って、ある知り合いから言われました。それもその通りです。でも、私にしたら、いろいろと悪すぎて、これこれって説明するのがとても難しいのです。そうそう、言葉遣いも古くーさくって、わかりにくい、っていうのも悪さの一つですね。 でも、そんなことを言っていたら始まらないので、難しい法律関係や専門的なことは、法学者や役所の人たちのお任せするとして、私が、関わってきていややな~と思ったことをつらつらと、書いてみようと思うのです。 それはそうと、ずーっと前に、戸籍の問題や、友達の子どもの戸籍がないまま生活しているという話を、生みの母に言ったら「そうはいっても、戸籍は絶対なくならないから」と言われたことがあります。それで、この間娘としゃべってたときも「そんなこと言ったって、かいちゃん、戸籍は絶対なくならないよ」と言われてしまいました。びっくりしました。母と娘にサンドウィッチで同じ事を言われてしまうなんて、私って一体・・・って感じです。絶対という言葉がまたおそろしいじゃないですか。でも、それ以来考えて、そうね、一緒に暮らしてて、いろんなことしゃべってるようで、頭の中身まではなかなか伝え切れてないことが膨大にあるよね。そう、みんなに知ってもらうという中に、娘の世代なんかも含めて、伝えていけたらいいし、その努力を惜しんではいかんな~、と、思い至ったのでした。 ところで、私は戸籍が絶対になくならない、とは思っていません(そんなこと思ってたら、やってられないもんね)。というのも、人々が「絶対」なんて思うのは、きっと、戸籍が日本の国にはもう、ずっとずっと古くからあって、戸籍が存在していない日本なんて無かったみたいに思っているせいのような気がするんだけど、そんなことはないのです。日本に戸籍という制度がととのったのは、1871年、今は封印されている壬申戸籍です。いやー、それだって、ずいぶん古いじゃないのと言われればそれまでですが、私が、その戸籍なるものが出来たときのエピソードで、うぎゃっとショックを受けたことがあります。それは、その当時とても有名な法学者が、「戸籍の命脈はもって30年だろう」と見立てていたということなのです。なぜなら、こんなにも、非民主主義的で国家にだけ都合のよい登録制度は、人々の反感を買ってかならずもたなくなるだろうって。そう言ったらしいのよ。ということはよ。その戸籍を、今の今まで後生大事に壊さずにいる私たち、日本の民衆って、一体何よ?ってことにならない?権力に支配されることを、自らこうという、近代国家の国民にあるまじき感性を持続してしまったって事何じゃないのか???そのショッキングが、戸籍って何?を、追求するときに根っこにあるかもです。ひゃ~、その中身の続きは次回ってことで。 ▲
by fuyukikai
| 2007-01-24 22:16
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