年があけました~。2000年もどんどん先に進んでいきます。変わらないことと、変わりすぎることに翻弄されます。過去を整理し、きちっと未来を見通すということが、ますます困難になってきているのかもしれません。常識と倫理観をきちっと育てた官僚はとても少なく、政治家は権力闘争の劇場のシナリオが重要すぎて、とても世間を知ることはできません。
本当に戦争をしようとしているというよりも「戦争ができる国」にしようとしているのだと、ある知識人が言っていたが、それはすなわち、国の形の理想形を「戦前」に見立て、それが最善のモデルであると今現在信じている勢力がはばをきかせているということと同義なんだろう。
それは、整理し見通すということの困難さを、そのあまりの困難さゆえに放棄し、しゃにむに型にはめこんでしまえ、という欲望なのだろうか。
なぜ?まともなことが、まともなこととして主張されることがないのだろうか?
例えば、民法改正にしたところで、別にそれは「一部それによって不利益を得ている人」に対してかわいそうだから「恩恵」で何とかしてあげましょうとか、そういったレベルでしか語れないということの貧しさだ。
悲惨の解消などではない。ただ、まっとうにただしていこうという意思が重要なのだと思う。
ただの恩恵で済まそうなどとされるくらいなら、本当は変わらなくてもいい。「婚姻」にまつわる不利益を知らしめて、事実婚を増やしていったらいいのだ。事実婚ならば、772問題も問題にならない。そこで問題になるのが900条4項婚外子差別だが、それだって、もしももしも、婚外子が普通にいっぱい増えれば、自分の子どもが全部婚外子ならば、みんな2分の1になっちゃって、それでいいじゃん、て。
そんな道筋のほうが、すがすがしいのにね。という思いはいつだってあるわけで。
今年は、その辺を、整理していきたいと思っているんです。