反天皇制という枠組みの思想性を「日本における」というカギ括弧をはずして、世界史的に権力構造として解き明かしてみせる。その野心が必要なのではないか。
固有性を見落とさず、つぶさに見極めてなお浮かび上がる普遍性はあるだろう。
しかしまた、普遍性のまねごととしての天皇制という側面もあり、どこまで精巧性を追求しようとも、擬人的な技巧に過ぎないその国家主義を、どこまで根源から問うことができるのか?という問題。つまり権力の「つくり方」の問題であると同時に、
その「つくられた」システムが、「国民」とくくられた人々の意識に、どのようにしみ込んで、それを支える役割を担ったのかという問題。
つまり「我々」の側の存在論としての問いが同時にある。
そうしておそらく、後者の問いの方が、「人間」を問うときの普遍性を担保する問いとして立ち上がるのだろうと思われる。
そのような作業を通じて、部落差別についてもまた、「日本独自」ではない、人間にとっての差別に関する問いとして、「人権」における位置付けを得ることとなるだろう。