3月11日、東日本大震災及び福島原発災害から1年を経て、この国が
1945年の敗戦以来、全体主義的な要素を払拭せずに歩んできたことの弊害を
じわりじわりと感じ続け、国が人を殺すことの恐ろしさと嫌悪に心が
犯されてはいけないと、戒めつつ、戒めつつも、どこかで暗い影を抱え、
その影を払うことは、もうこの先相当に困難なことなのではないかと、開き直ったりしつつ
おろおろと、寒く、暖かく、寒い、この季節をやりすごそうとしていた、
この月の29日という日に、
福岡、広島、東京の拘置所で、3人の死刑囚が殺された。
その処刑に関する記者会見で、小川法務大臣は「刑罰権は国民にあり、国民の声としての裁判員裁判でも死刑が支持されていること」を理由とし、執行の責任を国民に帰したというそのことが、私には何よりも許されないことだ。
すでに死刑廃止がなされているヨーロッパ諸国にしろアジア諸国にしろ、廃止時の世論は80%が死刑を支持していたとしても、人道上の理念に基づき、政治的判断でその制度が廃止されているのであり、なかんずく、死刑の執行の責任を国民に転嫁するなどということが、民主主義国家でなされるなどということは考えようもないことだ。
心が折れてしまわないように、相当な努力をしよう。と、
大切な仲間たちに呼びかけたい。