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10月、月は相変わらず満ち欠けを繰り返す。 10月5日、堺町画廊で行われたヒデコちゃんの個展は、入ったところに展示されていたのが 赤い自転車に乗ったお月様。それは、ノエのお墓なのだと、彼女は言った。 あったかくて、まるくて、どこまでも、越えていけそうな… それは、いまだに、深く潜るのでも、埋もれるのでもない、浮遊する 浮遊する魂と、共振する私たちのありようでもある。 京都市の空き缶持ち去り禁止条例が、今日、本会議で可決された。 野宿者たちの唯一の生命線を断ち切る条例であり、彼らを盗っ人扱いする非人間的な視線であると、 反対する人たちは、デモ、人間の鎖、ハンストを行った。 人間の鎖は、市役所を取り囲み、老若男女が手をつないだが、 市役所前に残って交流したのは、ほとんどが、「若い」連中だ。 そこに、ナカギリクンが登場。 「10月5日に、どれだけ多くの人が月を眺めていたか」と、言うのだった。 ところで、今回の条例は、「ホームレスが空き缶を持ち去り、やかましい」「他の場所に捨て置いている」「環境局職員(ごみ収集職員)は取り締まらないのか」という『市民』の苦情が根拠になっていると「京都市」が主張することから来ている。 反対する人たちは、そのような行政の言説は、単なる「言い訳」なのだと捨て置く、 あくまでも、市民を敵にはまわしたくないのだ。 しかし、一方でごみ収集に関わる人びとに対する市民の視線が、常に厳しいことも現実としてある、というその事実は、さほど重要視されることがない、という、そのことが、 実は、大切なことを見過ごしているのではないかと思ってしまったり。 大阪から、釜日労の人びとがバスで駆けつけてきた、 その切実性が、逡巡を溝を埋める橋になったかもしれないが、 呼びかけ主体の「若者」から、受け取ることが一面的である、ということは、 かつての私を重ね合わせて、責められることでもないことも、また思い至る。 「哲学的なものと政治的なもの」松葉祥一著、というのを読んでいる。 メルロ・ポンティから離れて、また接近して書いたのだという。 「両義性」という領域に惹かれつつ、いずまいを悪くしたかつての感覚を、また 私は整理したいと願っているのだろう。 当たり前とも言える。女性的とも言える、その領域が、哲学として成立するのかどうか。 帯びには「個人の自由、他者との共存、新たな共同性は、いかにして可能か」と、書かれている。
by fuyukikai
| 2010-10-29 01:21
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