いよいよ恐れていた裁判の選任手続きが行われたということだ。鳥取県米子市で男女2人が殺害された事件。死刑の判断が迫られる可能性があるということで、当日に辞退を申し出た人が12人いると報道された。「素人の判断で大切な命をどうこうできない」「事件が重大なので判断できない。もし重い判決になれば、その後悩んでしまう可能性がある」と説明した男性は選任されなかったとある。辞退を申し出た人の気持ちは、その通り!当然だ。私だって絶対イヤだ。でも、一方で、そんなふうに、重い刑(死刑)を言い渡したくない人が、辞退することで、判断を躊躇しない人ほど選任されることになるのだとすれば、それはそれで、ものすごく恐ろしいことなのではないかと思う。どちらにせよ、裁く側も裁かれる側も、人生そのものに重大な刻印を押されることになるだろう。しかも、その責任については、国も裁判所も特にこうむることはないというのだ。法というシステムが担うこと。だが、法をつくったのは人、なのではないか。誤って殺してしまった人を殺すという誤ったシステムこそが、さらに抹消されるべきなのではないか。
裁きの強制と化してしまった裁判そのものの罪深さにおののく。