カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 01月 2021年 10月 2021年 05月 2021年 03月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 02月 2019年 10月 2019年 08月 2018年 11月 2018年 08月 2018年 07月 2016年 10月 2016年 02月 2015年 12月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 05月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 お気に入りブログ
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ベロ亭、岩国英子の個展「踊るかお」が開催されている。 6月4日~9日 場所は大阪大正区のブリコラージュ。 http://www.jimoto-navi.com/bricolage/ 7日(土)に、行って来た。その日はたまたま「お話の夕べ」の日でもあり… 懐かしい人などにも会えました。 のえが、生きていたのえが、この世から、生きるものとして姿を消し、8ヶ月。 ヒデコちゃんが、顔を創作したことの意味は、残された個体としての悲しみが 残されて生きる全ての私たちへと、また、再び開かれたということの証だろうと思われたし、 ただ、それだけではなく、 彼女の言葉を引用すれば、「人生の重たいところからひねり出した、力強さ」のみならず 「どれも見るからに楽しいやきものたち」が、そこにあるのであり、 私にとっては、「楽しさ」が、これほどに悲しみの蓄積の果てにあるということに、 衝撃を受けたことはかつてない。 ありとあらゆる、ルサンチマンや復讐心。悲しみから悲しみへの連鎖は、日常茶飯事であるが、 くぐりぬけて反転した「楽しさ」こそが、「本当の」悲しさの表現であるだろうと、 そう、そのように、表現することが、裏返して言えば連鎖を終わらせる出口であったのあろうと思われる、 ただ、そのことの、かけがえのなさに、私自身の涙の由来はあるだろう。 だって、やきものが、笑っているんだよ。 しかも、そのやきものたちの笑顔が、自己満足や自己憐憫とは程遠く、 ただ、他者の心をシンプルに慰めるような笑い顔なんだよ。 楽しさ、だけが、私を泣かせる。 泣いてもいいんだという許しが、「楽しさ」の中だけにあるから。 許されたんだと、 自分で自分を許すことができたのだと、 そうして、生きる生きる生きること、に、 再び、三度、四度、五度、回数を重ねるほどに真摯に、 向き合っていけるだという、それは、メッセージだったのだ。 顔が踊る。踊らずにはいられない躍動。 生き、続けて、いる、から。 コントロールされずに、顔をさらす、尊厳について、 さあ、個体がそれを維持しようなどという呼びかけさえも、 少し前から難しくなっている私は、 せめて、コントロールされている私の顔と、そうではない私の顔の ギャップについて、よくよく見極めようとしているのであり、 呼びかけは、それぞれの、ギャップを意識し続けてほしい、という 願い、 なのだ。
by fuyukikai
| 2009-06-06 23:09
|
ファン申請 |
||