夏のなのこりが、厚いベールのように私の頭にまとわりついて、意識がこもっていました。
いろいろと、動いてはいたのです。昨日の前の日曜日は。丹波マンガン記念館特別展の講演会に招かれて、話もしました。どんな人たちが聞きに来るものなのか、かいもく見当が付かないまま、「パスポート・民法・イエ制度」ってな壮大なテーマをぶち上げて、レジメを用意したものです。聞いてくれた人は、ざっと20人くらいでしょうか?そのうち、館長の親戚らしき人々が半分くらい。残りの半分の三分の二くらいが、事務局系の関係者。その残りの三分の一が一般の人という感じでした。って、そもそも日本社会の戸籍からはみだしている、在日の方々が圧倒的ではありませんか?スタンスは微妙ながら、女の立ち位置で語ってみました。オモニがフンフンと聞いてくれていてうれしかったです。京北町の水は、マチナカよりずっと冷たかったです。
先週の金曜日は、一緒にりぶ資料を整理したTくんの呼びかけで「リブ研」なる集まりに行きました。資料は主に彼の周辺の学生たちがつくっている、「PACE」というミニコミ(というにしては、ぶ厚い)に、月曜日の集まり、ラン、ぶんた、kaiのインタビュー記事が掲載されたそれでした。
資料その2は、「全共闘からリブへ」(インパクト出版会)『リブセンをたぐりよせてみる』だっので、とても久しぶりに再読しました。思うところがいっぱいあって、それも書ききれません。
ただ、今日のミーティングで、「田中美津が、永田洋子は私だ、と言ったことの意味」についてランちゃんにあらためて聞いてみたものです。ランちゃんは、リブに出会えた自分と、そうでなかった永田洋子とのネガポジとしての言葉だったと答えました。でも、私は、集団に出口がなくなったときの権力構造として、同じ質を美津さんは、永田さんに見ていたのではないかと言いました。そして、話は延々といつものように展開します。
それは、「とおからじ舎」というグループの閉じ方にも通じ、だからこそ、今の私たちにも通じているのだと、あらためて、「リブ研」のお誘いで思い至ったからでもある、ナ。