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家族とはまず、一つのユニットだろう。生活を共にする単位としてとらえられる。基本的には一つの価値観、一つの宗教、一つの家計を共有し、自ずと他に対して排他的にならざるを得ない単位だ。もちろん、その単位の性格は様々であり、家族であるからという理由だけで、強い紐帯が保障されるわけではないし、家族がばらばらというのもよくある話。ばらばらで、仲良しということもあるかもしれないが、一方でドメスティックバイオレンスの被害は、閉ざされた空間と逃れられない日常において発生するがゆえのすざましい恐怖をもたらす。 家父長制については、長くフェミニズムが批判の対象としてきた。家族において、一人の男性のボスがいて、成員を支配する構造。特に、この日本においては、戦前、戸主制度が存在し、戸主には法律上も様々な権力が付与されていた。戦後、その制度が解体されたとはいえ、戸籍には「戸籍筆頭者」欄が残ることで、主(あるじ)の観念は払拭されず、また、住民票において「世帯主」を設けることによって、国家権力は制度上、事実上「主人」とその成員という家族を存続させてきた。1996年に法制審議会は選択的夫婦別姓制度の導入を答申したが、いまだ民法は変わらず、結婚をした場合、男の氏を選ぶのが97%という現状である。 戦前、天皇制は国民統合の強力な手段であった。天皇には大権が付与され、「国民は天皇の赤子である」との観念を臣民であるところの国民に植え付けた。「家族国家観」は人々に浸透させられたのだ。そうして、大東亜共栄圏という、当時としては美しい言葉で、アジアをも含み、天皇の支配する一つの家族であろうとしたその戦争遂行が、現在では、「侵略戦争であった」ことは、国として正式に表明している事実である。 しかしながら、侵略行為であるところの虐殺、あるいはこの度の橋下発言にあるような、性暴力=従軍慰安婦の設置について、認めない、あるいは、軽くみなす、あるいは、事実を認めたとしても非難には当たらない等々の考えを持つ勢力は、戦後もずっと絶えることはない。それどころか、勢力を拡大し、さらに声を大きくしている。そうした勢力が頼りとするところの観念が、まさに「家族」であろう。 全体主義国家であったところの当時の日本。一つの国を、一つの家族と言いくるめることでさえ、大きな矛盾と強弁があったと言うべきなのに、それを世界にまで広げるなどという考えは、全く容認されるものではない。 ちなみに、国(nation)について、あえて「国家」と言い表し「家」を冠するところが、まさに、日本という国が、国民主権と民主主義を標榜しつつもそれが浸透しない、あるいは、そうはさせないという権力の意思表明であるようにも思われる。 さらに、英語におけるfamilyは、原義は使用人集団、奴隷という意味もある。 家族、という言葉に反応して、その言葉を「全体」(いかなる全体であろうとも。ましてや世界とは!)にあてはめることが、いかに危険なことであるかと発想することは、学校での歴史学習を経た程度であってもピンとくるはずだと思うのだが。京都府の職員試験を通った優秀な人々が、なおかつ「人権啓発室」なる部署に配属されてなお、そのような思いに至らなかったということ。さらに、府議会においても、そうした指摘がなかったこと。家族という概念に対する警戒心がここまで薄れてしまったのか。ひるがえっていえば、国家や歴史に対して、ここまで無批判、無頓着になってしまったのかということに愕然とする。率直に感じたのは、「世も末だ」ということだ。
by fuyukikai
| 2013-06-21 15:47
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