以前ブログに書いた、筋ジストロフィーで闘病生活をしていた直ちゃんが、
4月2日の午後8時45分に亡くなった。
苦しい数週間だったと、直樹母との立ち話のときに聞いていて、
「今年の桜はもう直樹は見れないと思う」と、彼女が言ったとき、
本当に、目一杯の闘いが、いよいよ佳境なのだと、覚悟していた。
だから、桜が、咲いたことは、
直ちゃんが生きている、ということであり、そして、さらに死が近いということであり、
死亡が伝えられたその日は、確かに満開になる前、川沿いの桜は3分咲きのかわいいさかりだった。
国立病院から、直樹がやっと自宅に戻ってきたのは、3日をまたごうか、という時間帯で、
同じマンションの一室を、学童保育が一緒だった2人の息子と、直樹の風呂介助をローテーションで引き受けていた連れ合いと一緒に訪れたのだ。
眠ったように、死んでいるその姿。
死者が、いる、という短い時間の厳粛。
その短い時間を過ごせない、被災地の悲劇と、
短い時間が、長い時間になってしまっている1万8千の安否不明。
父たちが亡くなったときも、
東北関東の地震で亡くなった人々を思うときも、
ふと、同時に、直ちゃんのことが、脳裏に浮かんでしまったことは事実だ。
闘い続けたその生を、いつも尊敬していたし、
どんなに厳しい状況でも、決してあきらめず、自分をあわれまず、
周りの人を楽しませ、いたわる力を教えてくれたことに対し、
心から、「ありがとう」と、言いたいと思った。
最後の数日は、恐怖が襲ってきていたのだと思われる。
だけど、最後の最後は言葉は「これからもがんばる」であったと、
そうして、すうっと、コトコトコトと、心臓が静かに止まったのだそうだ。
その死の不幸や幸福を、誰とも決して比べることはできない。
今日6時から、お通夜。明日告別式。
大きな別れが、いくつもいくつも、個人にとっても、
世界にとっても。あった、あり続けている、ということを、
今、生きていることにつなげていかなければ、と、思う側から
泣けてくる、のは、
真夜中のせい。