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恐ろしくて、恐ろしすぎて、目が離せない、耳をふさげない その日を境に、世界が変わってしまう。 2011年3月11日も、確かにそのような日。 だが、私は当事者ではない。 1986年チェルノブイリ。 1991年湾岸戦争地上戦。 それから 1995年1月17日。阪神大震災。3月、地下鉄サリン事件。 でも、私は当事者ではない。 私にとっては、それぞれ、子どもを産んだ年だ。 3回目にして最後の子どもは、震災のちょうど2ヵ月後に生まれたのだった。 だから、今日が誕生日。 毎年、あの年の恐怖と無力と、それにもかかわらず、誕生する命の生命力に 生きることの覚悟をかみしめたりする。 そして、生まれたその人が目の前にいることを、奇跡のように感じることもある。 さっき、毎日放送で、産まれたての赤ん坊が映し出されていた。 被災地の病院の屋上で治療を続けた医師の妻が出産したということだ。 仙台市の病院での立ち会い出産。 生と死の極みを、おそらく彼もこれからずっとかみしめて生きていってくれるのだと思う。 それにしても、現在進行形の事実が、その都度常に最悪と思われるほど、 事態はより収拾がつかなくなり、震災の窮状だけでも全く想像を超えた規模だというのに、 原発の危険と不安のなかで、パニックに陥らずに退避している人びとは 本当に賞賛に値する。 いやしかし、日本人のことだから、表面に出ることなく、 深く内部で、混乱は深刻化しているのだろうか。 死者の数はいまだかぞえあげることもできず、 無数としかいいようがない。 恐ろしすぎて目が離せない。 でも、感応しないことも、感応しすぎることにも警戒しながら、 「日常」をかみしめるしかない。 その時、千葉の幕張にいた娘が、日曜日に帰宅したことに安堵する自分を 身勝手であると責めてはいけない。 だがしかし、原発の欺瞞性に常に怒りつつ、 結局は、有効に阻止することができなかったことは 責められるべきことかもしれない。 ブラックジョークのような「クリーン」エネルギーの恐怖は、 きわめてイデオロギッシュな事柄であったが、 それが、「現実の悪夢」となった現在でも、それでもまだ、 そのイデオロギー的側面は、払拭されないのだから。
by fuyukikai
| 2011-03-17 00:35
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