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生まれたけど戸籍に登載されない子どもがいる一方で、 いないけど、戸籍に登載されている人もいっぱいいるということが判明し、 この何日か、新聞の紙面を賑わしていたことだ。 この驚きは、戸籍への人びとの登載が確実であり正確であるはず、ということの信憑性が揺らいだことが背景にあるんだろうと思われるけど、言葉としては住民票が前面に出ていて、問題は家族の絆が薄れているということに帰着しそうな気配だ。 市民登録が申告制である以上、多少の不正確は織り込み済みで当然だし、完全ということなどありえないことだ、ということが常識になったほうがいいのじゃないのか。 釜ケ崎の日雇い労働者の多くに住民票がなく、ゆえに選挙権がないということが問題になったことは記憶に新しい。そのことは、彼らに住民票がないのではなく、どこかに置いてきた、捨ててきたということであることは、容易に想像されるべきことだった。とすれば、人々の居住関係の登録については、ある程度国はすでに実態の反映をあきらめていたとも言える。 そうして、その人びとに選挙権という当然の国民の権利が行使されないことには無頓着でありながら、戸籍の抹消ということについては、神聖視されているからか、行政は勝手には行わないということの結果として、普通で判断してもありえない年齢の登録を放置してきたのではないか。 天皇の臣民名簿には勝手に手をつけられないということだ。 そして、一方で、戸籍の確実性に対する「神話」だけは維持したいと願っているかのように。 居住登録と、人の生き死にという身分登録が二重制度になっていることの問題性も、今回の報道ではゴチャゴチャになったままであり、報道の主旨が乱れていた。 家族関係の希薄さ、という原因を指摘するにとどまらず、この国の登録の在り方にまで、問題意識が届いてほしいものだ。 8月15日、敗戦の日。 いくつかの報道番組では、あの当時、いかに国民がたやすく「棄民」とされていたかというメッセージがこめられていた。それは個人が尊重されていなかった時代への「反省」であろうと思われる。 しかし、「国民」という人々へのまなざしは、憲法の第1条と戸籍を残したかぎりにおいて、基本的な転換がはかられなかったという「現在」への慙愧の思いはそこにない。 なぜ?どうしてなのか? 個人として生きたいと願う限りにおいては、あまりにも率直な疑問が、私には払拭されない「戦後」という長い時代だ。
by fuyukikai
| 2010-08-16 01:08
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