4月から地下鉄通勤をしている。駅まで15分。行きと帰りで一日30分、真剣速度で歩くのはいい感じだ。そのせいなのか、他の原因もあるのかわからんが、何キロかは痩せたのだった。
もっと良いことには、駅のすぐそばに図書館があること。図書館で借りた本を地下鉄で読みながら、ひととき現世を忘れて、しゃにむに出勤するのだった。
しかし、現世からの離脱と言っても、ふと手に取った黄晳暎(ファンソギョン)著「客人(ソンニム)」には恐ろしい場所に連れて行かれたのだった。公式の歴史の背後に隠れる「別の真相」を物語りとして今に現す作者の意図は、しかし、告発でも暴露でもなく「生者と亡者との最終的な和解」、にある。西からもたらされた天然痘という病を朝鮮の民衆は「客人」(ソンニム)と呼んだ。そして、同じく西からもたらされたキリスト教とマルクス主義がもたらした災厄は、第2次世界大戦後、日帝からの解放という、弾かれたような時期に、一気にその猛威を振りまいたのだ。
善悪という振り分けで、物事を見ない。とするならば、いたたまれなさや悲しみというフィルターで物事を見るということになるのだろうか。祈りと理性の和解を、日本にいる私も、意識しないわけにはいかない。