スラヴォイ・シジェクの「イラク」を読んだ。とりあえず読んだ。
わからんくても、頭に入らんくても、とりあえず、読み進んだって感じ。
なんだかんだ言っても、資本主義批判しなくちゃな、と、言ってるみたい。なんか怒ってる。
デリダでさえも、ダメ出し。でもフェミニズムは気にしてるみたい。
おもしろかったのは、「過剰」に可能性を見ている(期待している)ってところ。
たとえば、最近「反婚パレード」や「ユニオンエクスタシーイベント」で小林まりこさんと話す機会があったわけだけど、そのたびに様々な場面で彼女が被った「パワハラ」について聞く。
なぜか?おそらく、彼女の歌は聞くものにとって、なんか「過剰」だからなのだと思う。
それが、何がしかの琴線に触れるんだろう。安全に生きているサヨクの男たちには、特に。
(あ~でも、最初のパワハラは、女によるそれなのよね。資料があるんだもん)
私は爆発的に笑っちゃう。彼女のそのブルースに。その過剰を。その瞬間が「解放」なわけ。
微笑みや拍手なんかじゃなく、腹を抱えて笑う。それだけが、過剰に対する共感だと判断されるから。
ルサンチマンが勝ちすぎてるな、と、思ったらそこは指摘してみたりはする。
でも、全体的に行き過ぎてるって感じが好きだ。
4月3日、大阪 Rain Dogs というところで、佐渡山豊など他いろいろなメンバーとまりこライブがあるらしい。
二人が、一体どんな空間をつくるのか??どんな接点があるのか?
興味深い気がする。