11月最後の日曜日は、昼間、本当に久しぶりに一人でのんびり過ごして、奈良岡辰也著の「吉田松陰」を読んで過ごしました。
1950年に執筆した岩波新書を1993年に復刻したものです。
最近、「明治」はとても「江戸」に近かったのだなと、実感するのです。
そして、「明治」はまた、現在にもとても近いと。
認識ではなく、感覚として。
というのが、年をとっていくということなのか、とも思うのですが。
何十年かの時を生きるということ。
ということは、「水戸黄門」を見ていた親の世代もまた、それに近い感覚で、過去を見ていたのだろうかと想像してみたり、それとも、もっと近い感覚をまだまだその身体に抱えていたのだろうか、と思ったり。
奈良岡さんは、親世代よりさらに年長の方で、今は故人です。
ただ、吉田松陰を書いたとき、彼はまだ37歳で、松蔭の心意気や、社会変革への意気込みをおそらく非常に共感し、実際に共有しているかのようでした。
しかし、わからない。
なぜ、社会変革が、王政復古なのか。
尊王であり、狂信的な皇道主義なのか。
必要であったという理由はわかる。日本に一神教がないから。
国をまとめるために一が必要であり、一とは少なくとも当時、天皇でしかありえなかったから。
しかし、必要論を根拠にして、本当に宗教なり思想なりが成り立ちうるのか。
しかも、江戸においてすでに不合理であるとされていた、その神話をなぜ、採用することができたのか。
あくまでも必要であるから、という理由の合理主義なのか。
その導き出されたものが、およそ近代国家と相容れない非合理の結論であることを是とする合理を、合理と置くことの、圧倒的な矛盾に、
もっともっと、もっともっと、立ちすくむということこそ、ただ、それだけが、合理なのではないかと、私には思われるのに。
だから、まさに、現在、今、今それをしなければならないはず、と、思うのです。
「戸籍」を問うというのは、そういうことなのです。